サイケデリック
Love - Forever Changes (Full Album) - YouTube
今回から、年代ごとに分けて、ロックの奥深さについて書いていきたいと思います。
しばらくは60年代です。
60年代のロックを語るうえで欠かせないのが「サイケデリックロック」と呼ばれるものです。では、サイケデリックとは何か。簡単に言えば、音楽でドラッグをやっている時のようなストリップ状態を表現したものと考えてもらえばよいかと思います。聞いていて快いメロディというよりは、聞いていると軽いめまいが起こりそうな、アルコールで酔った感じのメロディが特徴です。事実当時のサイケデリックロックのバンドはドラッグをやりながらレコーディングしていました。当然として曲も、整然としたかんじではなく、混沌を思わせるような音が紡ぎだされ、一つ一つの音がしっかり主張している感じがします。言葉ではうまく伝えることが難しいので、サイケデリックロックを代表する名盤である、Love の「Foever Changes」を聴いてみてください。(画面上)
このアルバムは、今でこそ評価されているアルバムですが、当時はそこまで評価が高くなかったアルバムです。Loveは残念ながら最後までトップになることができなかったバンドです。しかし、このアルバムの完成度は非常に高いです。ボーカル兼ギタリストのアーサー・リーを中心にして結成されたバンドですが、この「Foever Changes」をリリースした後、ほかのメンバーが薬物中毒になってしまいます。結局リーはこの後ソロ活動がメインになりますが、夢半ばで命を落としてしまいます。この「Foever Changes」では、そのリーとほかのメンバーとの美しいコーラスが随所にあります。そんな時私はそのあとのバンドの運命を思い起こして悲しくなります。なにせ本当に美しいですから。
リーがバンドのメンバーのことをどれだけ慕っていたのかはわかりませんが、この時のリーはどこかしら嬉しそうでもあります。彼がバンドのメン本気で作ったであろう傑作、ぜひ聴いてみてください。
ROCK!
The Verve - Bitter Sweet Symphony - YouTube
ずいぶん久しぶりに更新します。今日はロックについて書きます。
私はロックが好きです。というとよく友達からびっくりされます。それはみんながロックを勘違いしているからだと思うんです。おそらく一般的にロックといわれて思い浮かべるのは、奇抜な格好をしてシャウトしたり、ガチャガチャやってる音楽のことを思い浮かべる人が多いかと思います。だから、パッと見そんなものが好きそうに見えない私が、「ロックが好き」なんて言うとみんなびっくりするのだと思います。
でも、はっきり言います。
それはロックを勘違いしている!!
多くの人が抱いているロックのイメージは、ハードロックやメタルと呼ばれるジャンルのもので、ロックの氷山の一角でしかありません。ロックはもっと広く、大きく、深いものなんです。
例えば上の曲を聴いてみてください。上の曲は、The Verve というバンドの代表曲 bitter sweet symphony です。どうでしょう。みなさん「これがロックなの!?」と思ったかと思います。そうです、これもロックなんです。90年代に世界を席巻した「ブリティッシュ・ポップ」というジャンルがあります。その代表的なアーティストは、みなさん名前くらい聞いたことがあるんじゃないでしょうか。OASIS(オアシス)とBLUR(ブラー)です。そのオアシスが認めたと言われているのがこのverveというグループなんですね。
管弦楽器の美しいメロディから始まるこの曲は、私も大好きです。とにかく美しいですよね。大きな流れの中に身を横たえているように感じます。少なくともジャカジャカ、ガンガンな感じでは全くありません。この曲が気に入ったという方は、この曲が入っているアルバム「Urban Hymns」もぜひ聞いてください。こちらも素晴らしいアルバムですから。もちろんbitter sweet symphonyのように美しい曲も入っていますが、そのほかにも少しサイケデリックな、軽いストリップ体験を連想させるようなメロディの曲なども聞くことができます。90年代を代表する名盤です。
ロックは広く、大きく、広いです。これからもロックの魅力を伝えていきます。
ナルト アニメ カカシ暗部編「第7班」感想
はい。お久しぶりです。最近しばらく書けていなかったわかめです。
ここしばらく、現実世界のほうでいろいろ忙しくて、こちらまで手が回らなかった次第であります。
先日美容院にいってきまして、パーマをかけなおしていただきました。
ち〇毛復活です。
わかめは昔から、短くさっぱりしてもらって、だいぶ伸ばして、またさっぱりしてもらう派なので、(そんなに美容院行くお金がないので)美容院で切ってもらうと、毎回別人に生まれ変わる気がします。周りの人たちみると、一年間を通してそんなに長さが変わらないなーっていう人もいて、そういう人たちはこまめに切ってもらっているんでしょうか。それとも自分で切ってるのかな?笑
今度もしばらくは伸ばしますよー。
では、本題に入りまして、アニメナルトの方にいきます。
先週が放送休止だったので、やっっっっっっっっとか!!という感じで、待ちに待っていたわかめです。
今週はいよいよ「第7班」でしたね。
今回は、何か新しいことがわかるという回ではありませんでしたが、漫画よりもよりカカシの内面に焦点をあてることで、「カカシの成長」が感じられる回でありました。
3代目から、「ミナトの忘れ形見」であるナルト、「うちはの生き残り」であるサスケ、そして「両親が強烈な」サクラを任されることになったカカシ。
ですが、カカシはやはり自分が下忍の担当となることを躊躇しています。
かつてチームワークを理解していなかったばかりに、オビトを失うことになった自分を、まだ許せていないわけです。
そんなときに3代目の言葉。「弟子を信じるのじゃ。」
実はミナトも、かつてカカシ、オビト、リンのアカデミー卒業演習を担当していた時、カカシの形ばかりのチームワーク、つまり独断専行をきちんと見抜いていました。しかし、そこでミナトはカカシの並々ならぬ忍びとしてのセンス、さらには将来的に必ずチームワークを理解してくれるだろうということを信じ、演習を合格としたのです。
このことを聞いたカカシは、昼飯抜きのナルトに弁当を食べさせてあげるサスケ、サクラをみて、彼らを信じてみよう、と決心します。
今回でカカシ暗部編は終わりです。
自分が個人プレーに走らなければオビトは死ななかった、またオビトと必ず守ると誓ったリンを自分の手で殺してしまった、これらの罪の意識にさいなまれ、心に深い闇を抱えていたカカシ。過去にばかり目を向けていたカカシ。
始めは、その心の闇を埋めるように次々と無差別に人を殺していきました。
しかし、担当上忍となり、かつてミナトが自分を信じてくれたように下忍を信じることで、また、もう自分やオビトやリンのような忍びを生み出さないために、チームワークを理解できる忍びを育成していくことで、少しづつ未来の方に目を向け始めてきたカカシ。
かつての心の傷が完全に癒えることはこれからもないでしょう。しかし、それを心にうけとめながらも、カカシは前に進んでいく一歩を踏み出しました。
「俺は、この子たちを絶対に守っていく」
カカシの未来への誓いは、来週からの本編でもいきてくるはずです。
今日はここまで。
名探偵コナン「異次元のスナイパー」感想
実は昨日、劇場版名探偵コナン「異次元の狙撃手(スナイパー)」を見てきました!
その感想というかつれづれ。
※ネタバレ注意
全体を振り返って、大人も十分に推理を楽しめる作品となっていました。
今回は、たぶんほかの多くの方々がもうストーリーなどはばらしていると思うので、そこらへんは簡潔に。わかめが個人的に気になったところに焦点をあてて書いていきたいと思います。
まず、あらすじ。
今回は、スナイパーがテーマ。舞台は東京、浅草です。スカイツリーの完成が大きくこの作品に影響を与えていますね。
まず、犯人から。(ちょ、もう!?と思ったそこのあなた!そうです。もうです。めんどいので。)
犯人は、もとアメリカ海軍SEALS(シールズ)のケビン吉野とハンターさん(人名だよ)。
動機について。ハンターさんは、アメリカ海軍でも伝説的なスナイパーでした。中東での戦争での見事な活躍から、シルバースターを授与されていました。しかし、ハンターさんが無実の市民を撃ち殺したとして、これにケチをつけた者がいました。これによって、証拠不十分で裁判にはならなかったものの、ハンターさんは「疑惑の英雄」のレッテルを貼られ、シルバースターも剥奪となってしまいました。
さらに、ハンターさんの悲劇は終わらなかったのです。娘が婚約するはずだった男が、その約束を破棄し、別の女と結婚することに。また、日本の不動産を買うはずが、騙されて欠陥住宅を買わされる。さらに、妻も夫に愛想をつかして離婚。もうさんざんです。そして、ハンターさんは、復讐をちかいます。
この復讐に協力したのが、かつてハンターさんの部下で、彼を誰よりも慕うケビン吉野です。
ケビン吉野は、ハンターさんの指示のもと、かつてハンターさんを絶望の淵においやった人々を次々狙撃、殺していきます。その狙撃場所には、サイコロもおかれていました。このサイコロ、1から6までの目をつないでいくと、浅草の町に大きな星が浮かび上がります。そう、シルバースターです。ハンターさんとケビン吉野は、このシルバースターを、最後に殺すはずだったウォルツに見せつけてやりたかったのです。このウォルツこそ、ハンターさんにいちゃもんをつけて疑惑の英雄にしたてあげた張本人であり、さらに当時の仲間に命令して、ハンターさんを殺そうとした男でもあったのです。結果的にコナンたちの活躍で、狙撃はされなかったものの、この事件後かつて犯したさまざまな汚職が明るみにでることになります。
今回の劇場版、見事なミスリーディングが使われています。途中まで、犯人はハンターさんに違いないと警察、FBI、さらに見ている観客にも思わせます。しかし、このハンターさんが映画中盤あたりでだれかに狙撃され殺されてしまいます。ここで、誰もが一度頭の中が白紙になったことでしょう。見事ですよね。
後になって、これはケビン吉野がやったことだとわかります。おそらく、ハンターさんに頼まれていたのでしょう。警察を混乱させるため、そしてなにより、弟子であるケビンに、師を超えることで一人前のスナイパーになってほしいとの思いからでしょう。だから、ケビンは一度銃弾をはずしています。師を殺すことに躊躇したのでしょう。
そして、今回の劇場版で、一番の驚きは、昴さんが姿をくらましていた赤井秀一かもしれない、ということです。こう判断する理由は3つ。1つ目。ハンターさんをしてシルバーブレッド(赤井秀一のこと)にしか不可能だと言わしめる距離からの正確な狙撃。2つ目。最後の電話。FBI捜査官のあのおじいちゃんと電話しており、そして最後の「了解」の声が、赤井秀一のそれとそっくり、ていうか一緒だったんです。3つ目。赤井秀一の妹である世良の病室に花束が届けられており、それを置いたのがどうやら昴さんであるだろうシーンがあること。
この3つから考えて、昴さんは赤井秀一なんじゃないでしょうか。昴さんが乗っていたのが「赤い」車だったこともなんか関係してそうです。
さらに、最後の最後で明らかになったのが、世良の「君(コナンのこと)の心臓はまだ貫けないよ。蘭さん、君のもね。」の言葉の意味。
これは、蘭のハートをスナイプできるのは工藤新一だけだ、という意味。うまいこといいやがる。
だとしたら、コナンにも言っているのはどうゆうことなのか。もしかしたら、コナンの正体に気付いていて、コナンも蘭のことが好きなことが分かっていて言ったのではないでしょうか。
考えすぎかな。ただ、世良がいった「いまのところはね」という言葉がやけに気になります。
とにかく、相変わらずコナンのスケボーなどのアクションは、「現実離れした」迫力があり、よかったですね。わかめは見ながら心の中では爆笑でしたよ。w
次回作も楽しみですよね。では、この辺で。
ナルト(ジャンプ)感想
今週の週刊少年ジャンプの感想というかつれづれ
※ネタバレ注意
遂に本格的な戦いの火ぶたが切って落とされました。
ナルト&サスケVSマダラ。
今回は、各キャラクターの能力が徐々に明らかになってきました。
まずナルト。これは先週同様、六道仙人の力が使えるようです。すべての尾獣のチャクラを使うことができ、それを風遁螺旋手裏剣みたいに螺旋玉に混ぜています。(今回は、一尾の守鶴のチャクラをつかって、磁遁なるものを発動しています。)
次にサスケ。今週は左目に焦点が当てられていました。その左目の能力ですが、わかめが思うに、特定の範囲内にある物体を、自分の好きなところに移動できる能力、ではないでしょうか。これが一番よくわかるのが、ナルトに「螺旋玉を自分に向けて撃て。それでうまくいく。」という旨の発言をし、事実サスケに向かって螺旋玉をナルトが、ナルトに向かって千鳥をサスケが撃つと、そのちょうど間に挟まれる形でマダラが突然現れるシーンです。そのほかにも、サスケに攻撃しようとしたマダラが、突然全く違うところに現れた場面などからも推測されます。
(ただし、実はもう一つのパターンが考えられて、それは自分を瞬間移動した、ということです。なぜなら、特定範囲内にある物体、であれば、当然サスケ自身もその範囲内に含まれているわけで、自分を瞬間移動させることも十分可能だと思うからであります。つまり、サスケの左目は、特定の範囲内の物体(自分も含める)を自分の好きなところに瞬間移動できる能力、と理解できそうです。なんだか神威に似ていますが、、、)
先ほどから「特定の範囲内」を何度も使っているわけですが、この能力には、使える限界距離があるようです。これは、マダラが気づいています。「あの左目の力も、ここまではとどかないようだな。」みたいな。
おそらく、サスケを中心とした円があって、その円の中ならばこの能力が使えるのでしょう。相手を移動する先、つまり相手が吹っ飛ばされる場所も、この円の中であるはずです。
最後にマダラ。マダラの能力は、もう一人の自分を作り出すこと、です。しかもこのもう一人というのは、普通の人には見ることができないものらしく、マダラやサスケやナルトのように六道仙人の力を使うことができる者のみ、見ることができるそうです。サスケは、輪廻眼と写輪眼合わさった眼のおかげで、これがはっきりと見えます。ナルトは見えないながらも、感じることができています。
このもう一人の自分を作り出すのにも、どうやら発動時間があるらしく、一定の時間を過ぎると一人になります。そしてもう一度使うまでには少しインターバルが必要なようです。このインターバルをナルトたちは狙いますが、今週は失敗します。
そして、ラストに、マダラはオビトの輪廻眼を狙いに、カカシの写輪眼を奪い、そして異次元空間へと飛びます。そこには、サクラもいるんですね。サクラとマダラのピンチです。一体二人はどうやってこのピンチを乗り越えるのでしょうか。来週が楽しみです。では、この辺で。
ナルト アニメ360話「担当上忍」
ナルト、アニメ「カカシ暗部編」の360話「担当上忍」の感想というかつれづれ。
※ネタバレ注意
カカシが先週の最後に、3代目から担当上忍をやるように命ぜられます。担当上忍について簡単に触れておくと、アカデミーを卒業した下忍の3人スリーマンセルの面倒をみる上忍、ということになります。カカシがこれに選ばれたわけです。(ガイやアスマ、紅も担当上忍となります。)
カカシは担当上忍として、絶対に心に誓っていることがあります。それは、下忍たちの「チームワーク」を見極めること。どんなに個人的に優れている下忍がいたとしても、3人で協力して鈴を奪いに来なければ、即刻アカデミーに送り返します。
どうしてここまでカカシは「チームワーク」にこだわるのか。
それは、自身に写輪眼を託し死んだ親友うちはオビトの存在です。カカシは、自分が当時、「チームワーク」を大切にしていなかったため、結果としてオビトを失うことになった罪の意識に苛まれています。自分があの時、「チームワーク」を理解していれば・・・・と後悔しているカカシは、自分の担当する下忍に同じ思いをしてほしくない、もうオビトのような忍びを生み出したくない、(逆に言えば、もう昔の自分のような忍びになってほしくない)という想いから、徹底して「チームワーク」を下忍に問うていきます。
非情で残酷にもみえるカカシの試験ですが、カカシ自身もこれでいいのだろうか、と悩みます。(自分自身の担当上忍であった4代目火影ミナトの顔岩を見ながら、カカシは自問自答しています。)
そこに、カカシがかつてアカデミー送りにした3人組が現れます。そしてみんな、「カカシ先生のおかげで変わることが出来ました。ありがとうございまいした。」と感謝の言葉を伝えていくんですね。カカシはこの時、自分のやり方は間違っていなかったんだ、と自信を持ちます。
3代目の言葉、「弟子は師から学び、また師も弟子とともに成長する」
カカシも、彼の弟子から、「チームワーク」を大切にする試験は間違っていなかったんだ、と教わるわけです。
わかめも、今となって感謝している学校の先生は、やはりちょっと当時は怖くて厳しかった先生です。あの先生が、あの時怒ってくれたおかげで今のわかめはある、そう思います。
アカデミー送りにされた下忍たちも、最初はどうして自分たちがアカデミー送りにされなくちゃいけないんだ、と思ったはずなんです。そこから彼らなりに考え、そして変わっていったのです。弟子は師の思う以上に成長していくものなのですね。カカシもこのことに気付き、オビトの罪の意識にさいなまれていた冷たい心が、少しではありますがあったかくなったのかな、と思います。
次回はナルト、サスケ、サクラの第7班です。久しぶりに主人公の登場ですね。(笑)
では、このへんで筆をおきます。
限りなく透明に近いブルー 村上龍
たまにはまじめなことも書いていこうと思う。
村上龍さんの「限りなく透明に近いブルー」を読んだ。
第一声、衝撃。
読みながら、何度も心が震えた。響いた。
紡がれる言葉が、かっこいい。鋭い。
まだ一周目なのだが、これは必ず2周しようと思う。いや、何周でもするつもりだ。生涯の一冊。
戦後の日本。ドラッグとセックスに明け暮れる若者。
そこに描かれていることを、いざ自分が目にしたら、おそらく耐えられないであろうことが、平気で行われていく。しかし、主人公リュウの目を通して語られるその世界は、どこまでも透明で、冷たくて、無機質だ。まるで夢の中の出来事のような。
登場する若者たちは、みんなこの世界への「けだるさ」みたいなものを持っている。生きづらさ、といってもいい。
これは村上龍さんが、爆笑問題との対談で言っていることだが、そういった虚脱感・無気力感を抜け出すためには、かなりのパワーがいる。それが、セックスであり音楽であり、ドラッグであるとわかめは考える。
村上さんはこうも言っている。「自殺するなら、オナニーしろ。」
これは少し、おおげさかもしれないが、この現実とつながる(現実を感じる)瞬間の一つが、性欲である、ということなのだろう。
作中に登場する若者たちは、どうしようもない生きづらさなどが詰まった「衝動」を、セックスやドラッグや音楽という形で具現化し、発散することで、「今を生きているんだ」という実感を感じているのではないだろうか。
むしろそこには、現実逃避としてのドラッグとかセックスではなく、彼らが現実と向き合うための、その手段として作中では機能しているのではないかなと思う。
最後、主人公リュウは、夜明けの空気に染まる「限りなく透明に近いブルー」のガラスのようになりたい、と考える。夜明けの街を映し出すガラスのように、自分もありのままを受け入れて、そしてそれを映して他人に見てもらうために。
どうして、リュウがこのように考えるに至ったのか、それはまだ力不足であまり読めていない。
つたない言葉で述べさせていただくならば、終盤にリュウは「黒い鳥」がみえるようになる。
町全体が黒い鳥だと思い、リュウはこれに恐れおののく。「リリー、どこにいるんだ、一緒に鳥を殺してくれ。」一人ではどうしようもなく、思わずリリーに助けを求める混乱しているリュウの姿である。
しかし、リュウは最終的に、この黒い鳥から逃れることはできないと結論付ける。つまり、この現実から逃げることはできないと気づく。むしろそこには、現実と向き合っていこうという意思が感じられる。
そして、前述の最後のガラスのシーンにつながる。
この街=現実と向き合い、それを他人に伝えることができるようになりたい、リュウはそう考えるのだろう。
ただ、その直後、ガラスが曇るシーンがあるのは、リュウが完全には現実と向き合うことができるようになったわけではないこと、その決心の脆さのようなものが表現されているように思う。
まだ読みが深まっていない段階であるため、自分でも何をいっているのかよく分かっていない。
ただ、この「限りなく透明に近いブルー」が、名作であることだけは、ここにはっきりと伝えたい。
今日はこの辺で。